「田中毅ギャラリートーク、武田厚氏とともに」 ギャラリートーク公開

4月19日に開催された、「田中毅ギャラリートーク、武田厚氏とともに」。当日交わされたトーク内容を公開いたします。どうぞご覧ください。

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エクリュ:今日は武田先生をお迎えして田中毅さんとのギャラリートークをお願いしたいと思います。一時間ほどの予定です。どうぞみなさまお楽しみになさってください。まずは自己紹介をお願い致します。
 
田中:作家の田中です。(笑)
武田:武田です。(笑)えー今日は3度目かな?最初に会った時と全く変わらない雰囲気で、ここに彫刻がありますけれど、田中さんがいるだけで絵になる、不思議な存在感があるんですね。今日はトークショーということで田中さんにお尋ねしていこうと思いますが、あまり喋りたくない?(笑)
田中:そうですね、酒飲まないとなかなか喋らなくて
武田:前に聞いた時に、作品とご本人の風貌とで仕事場などは相当アバウトだろうと思っていたのですが、ところが、聞いてみるとものすごくきちっとしたタイムスケジュールがあって何時に食事、何時に仕事、っていうふうな、そのことがとても不思議でしてね
田中:昼寝は断然決まっています。その時間帯はデパートの関係者とかには来てくれるな、とか電話してくれるな、といつも言っていますけれどね、12時から13時までは飯食ったらすぐに寝ています。
武田:寝過ぎっていうことも?(笑)
田中:寝ていなくても横になっていますね、それ邪魔されると機嫌が悪くなる
武田:機嫌が悪くなるとどうなる?
田中:いえ特には変わらないですけれど、その時間には来てくれるなっていう。
武田:朝は?
田中:朝5時に起きて、弁当と自分の朝ご飯作って食べて。7時ごろ二階に上がってパソコンいじったりとかスケッチしたりとかアイデアは一つだけでも無理やり出すようにしています
武田:ドローイング?
田中:ドローイングと言うほどのものでもないですね
武田:どんどんイメージはでて来ますか?
田中:そうですね、でてこないですね、ひねり出していますね
武田:1日の時間帯でいうと一番イメージがはっきり出てくるときなどありますか?
田中:特にないですね、テレビを見ている時にパッと浮かんだり、酒飲んでいる時とか
武田:例えばあの作品、富士山のようなベターっとしたああいう発想はちょっと並みじゃない、どうしようというつもりだったんですか?
田中:オリンピックに合わせてデパートで富士山をテーマにした展覧会をしたい、という話が来て、3−4年前に言われていたんですけれど、去年、こういうのをやったらいいかなっていうのが出て来て作ったんですけれどね。富士山の麓に住みたい、住んでる動物にこんなのがいるんじゃないかな?っていう
武田:そういうことですか、富士山が掛け布団になってしまってこたつに入っているみたいになって、みんなが集まっているっていう感じの
田中:駒門っていうところがあるんですけれど、富士山の麓に。そこに風穴があるんですよ、洞窟みたいな。富士山からの風が地下から吹いてくる、でっかい穴があった。そこを訪ねたことがあるんです。10年ちょっと前に訪ねたのですがその辺がちょっとあるのかもしれませんね
武田:長くイメージを温めて
田中:これは長かったです
武田:正面にいるのは特に?
田中:特に意味はないですね、こんなのがいたらいいなぁとかちょっと馬鹿げているけどまぁいいか、なんて思いながら作っています
武田:イメージはだいたいそんな感じで出てくるんですか?
田中:2−3年前くらい、強烈なイメージだったのが、知的障害者の作品展を見たときに一つテラコッタみたいなのがあったのですが、これはすごいなあ、こういうのが無心にできることがあるんだなぁ、原点に帰ってやってみるべきかな、と思いました。それが最近の強烈なイメージでしたね
武田:ユーモアというので今日はお聞きしようかなと思っていたのですが、ユーモアというと気取りのあるものがあるんですが、気取りがあるものでもなくて。以前田中さんの作品に「笑って行こう」というのがありましたね。作家本人がいるんですから、彫刻とどう向き合っているのか、聞いてみたい。今日見ていても、さぁみんな笑って行こう!という感じではないですよね?だからジワジワっと密かにニヤッと笑うというか、そういう面白みがアイデアの中に?
田中:最初学校(東京芸大)出たばっかりの頃はサラリーマンらが忙しくしていて、彫刻見てる暇なんてない、という人ばっかりだったんですけれど、そういう人たちにちょっと見てもらいたい、ホッとするような、忙しい中にホッとするような彫刻が作れないかな、って思って
武田:それは早い時期ですよね?
田中:学校の頃からかな
武田:そうすると、1984年に埼玉でユーモア展(「現代のユーモア展」埼玉県立近代美術館)というのがありましたね、本間館長の時じゃないかな?館長は新潟出身で、なんとなく無口の感じの方のようですが、実はすごくユーモアのセンスがあって、それでああいう企画を立てたと思うんです。面白い椅子のコレクションがあるんですよね。たくさんいいのをコレクションしている。1984年のユーモア展は田中さんが学校を出てすぐ?
田中:あぁ そうですね
武田:その時にミロの作品が出ていて、ミロの作品の隣に自分の作品があったと?
田中:最初入ったところにミロと自分の作品だけだったんですよ
武田:どんな作品だった?
田中:あの感じで、べったりしたような、這うような虫、高校の頃、円空とかミロが好きで見ないようにしようとしていた。見ちゃうと影響受けちゃうからって、そうしていました
武田:珍しいですね、好きだから見たい、っていうのが普通だけど。
田中:いや見ない、でしたね、ミロ展があっても見ない、自分の作品がだいたい決まってから、もう見てもいいかなっていう、そういう頃に展覧会に出たもんですから。僕は2年に一回個展をするくらいでしたけれど、学芸員の方が見に来てくれて、本間さんもちょっと見にきてくれたんじゃないかな、新潟の?審査員だったような気もします。
武田:そうだよね、1985年に神戸での具象彫刻(「神戸具象彫刻大賞展」)展で賞を獲られた、その時もすでにその不思議な作品だったの?
田中:人物だったです。3人で、実物搬入だったんで、土建屋さんのワンボックスカーで、壊さんばかりの重さで持って行って。石で三体ありましてね。中国の詩人たちという題名で
武田:これですか、ほぉ、面白い作品、もうその頃こうなっていたんですか。
田中:そうですね、2回目の個展くらいから
武田:なっちゃった、でも普通の彫刻も作っていたんですよね?
田中:イタリア彫刻だ、なんて言っていましたからね、ちゃんと作っていました。
ああいうのは誰も作っていなかったから、田中は工芸作家か、と散々嫌味を言われました
一番仲良い友達からも言われて
武田:反発?
田中:反発っていうか、そうか、っていう感じで(笑)、自信がなかったから
でも、こういう作品があったらいいかな、って思って作っていましたね
武田:その翌年かな、長野の公募展で賞を?
田中:それは公募じゃなくて、その前に神戸で大賞をとって、それも本間さんが関係しているんだけど、それで賞をとったんで長野の野外賞(長野市野外彫刻賞1987)をすぐくれたというか
武田:その時はどんな作品で?
田中:あれと同じような、あれは中国の詩人ですけれど、今度は江戸三歌人と言って、芭蕉、一茶、蕪村、こじつけて
武田:文学的な?
田中:文学的というか、中学の頃から、漢詩とか俳句も好きで、こじつけですけれどつけたんですよね
武田:でもだいたいその頃からここまでずっと曲がっていない。
田中:曲がりっぱなしというか(笑)
武田:作品のイメージが、変わってるというところが変わっていない、他にブレないで、発想も手法もイメージも基本的に連なってここまできた、という感じ、でいいですか?
田中:作りっぱなしだから。ずっと以前、重度障害者施設のところに作品を置いたことがあるんですけれど、そこの関係者が、田中さんの作品、怖いところがあるんですけれど、と言われて、そうだと思いますよって答えました。中国の本で聊斎志異というのがあるんですけれど幽霊とかお化けとかずっと扱っている短編小説なんですけれど。昔からの短編小説なんですが中国の歴史の中で、そういうのはあるだろうなあって。だから可愛いだけでは作ってなくて、ちょっと怖いとか恐ろしいとか、ちょっと幽玄的なものも作れたらなぁと。体調によってはそう見える時はあると思いますよ
武田:見る側がですね? 最初からそういう思いはありましたか?たんにユーモアだけでなくて?
田中:円空がなぜ好きかって考えたことがあるんですね。ナタ彫りのパッと一つの切れ込みの目がなんかナタ彫りのくせに奥深いんですよね、僕から見ると、ああいうのが出せたらいいなぁとか
武田:例えば円空のああいう仕事、大きくても小さくてもいいんだけど、切れ味みたいな
思い切りのいい断片みたいな、ミロが持っているユーモアのセンスとはちょっと違うような気がする。
田中:僕にはわりと似たような感じがしちゃいますけれど
可愛いと思うところがあると思うけれど、なぜこんな線とかあるのかなとか、その辺いるのかないらないのかな、って思ったりして。だから絵の中に奥深い何かが、遠近もあるかもしれないけれど、ちょっとなんだかわからないという深いように見えるときがあるんですけれどね。実際にそのまま真似していないけれど雰囲気は真似しているのかもしれないなって
武田:ミロの作品に対しても円空の作品に対してもどっか自分との接点があるような感じがしますか?
田中:そうですね、円空は目だけ、目のところだけを見に行ったことがあるんですよ、
武田:鋭い?
田中:鋭い、とは見えないですね、円空の微笑みっていう風に見える、具象的に作られちゃうと嫌なんですけど、バッサリというのが好きなんですけれどね
武田:ユーモアということでお話ししようと少し勉強をしてきたんですけれどね。
ユーモアというとイギリスの小話みたいなとういうところがあって面白いんだけど、
日本人にはユーモアのセンスっていうのは多いほうじゃない、田中さんの作品というのも、いろいろなものが組み合わさって、変なものができたり。表情を見ても、騙されないようにしようという感じがする、これだけじゃないという感じがする。ユーモアということで、基本的には人を和ますものですよね、それで、イギリスの紳士とユーモアについてなんですけど・・・真面目に感じながら、ふざけて考えると、という変な言い回しが彼らにはあるらしいんですが、それがユーモアの基本だと英国人のユーモアの本に書いてあって、”ユーモアが好きな人は真面目だ、ふざけた物言いが一切ない、が、後から考えるとふざけている。日本人の中にはない、そこに品格がないといけない、単なるジョークとは一線を画して、上品であることが大事、という風にユーモアの条件のようなものが書いてあるのです。ボテロですが、少女も馬も皆太っている絵を描いた画家だったんですが、40になってから彫刻も始めている。ボテロの作品について当時の評論家が、なぜあのように太らせるのか、ということになって、社会的なメッセージ、風刺であろう、と彼の作品の評価をしたが、ボテロは、残念ながら的を射ていない、と答えている。全く理由がない、直感的に太った人を作りたい、直感的にそうなっただけだと彼は弁明なのか本音なのか知らないけれどそう言っていた。現代の彫刻家であれだけクスッとユーモアを感じさせる作家はいないように思うけど、どうですか?
田中:人の作品はあんまり見ないんで(笑) でもその、ちょっと作り方が似ているところがありますね、そのとき太らせたかったら太らせるとかそういうことはちょくちょくある。
たれ目ばっかり作っているからつり上がっているものをわざと作ったり、僕も太ってる彫刻を作るんだけど
武田:笑いを広げるかな、笑いを呼びながら、裏がありますよね?
田中:そんなに深くはないです、ちょっとした感じ
武田:若い頃から自分のスタイルというのは一貫したコンセプトでイメージが出来上がっている。根本にあるのは、一番最初におっしゃった、忙しい人たちにもちょっと振り返って見てもらえるようなものを作りたいな、というのが原点でしたか?
田中:そうですね、それと…違うかもしれませんが、高校とか大学との頃に深夜放送を聞いていて、ある時、イタリアに行った人がいて、ミケランジェロの前に立った時に、自分が生きている感じがした、自分の存在を感じた、ていう、そんなことを聞いたんですが、それは俺にはないなって。そこまで作れたらすごいですけれどね、ただ、最初サラリーマンやらの話しをしていた時には野外彫刻を置いた時に、その側で弁当でも食べてくれたらいいなと思ってた
武田:そういえばこの前スパイラルガーデンの会場で作品並べていましたね。ちょっと写真を見せてもらったら円形のスペースに点々と作品があって。小さい子供が寄って来て一対一で対面していた。あれはごく自然でいい風景だなって思った
田中:今伊佐沼公園というところで、町の人が作ってくれた工房で作っているんですけれど、そこも点々と置いてあるんですけれど、犬とかかな。子供連れが結構来るんです、そこで子供達が作品に乗ってお菓子を食べたりしているんですけれど、そういう光景を見ていて、喜んでくれているから、そういうのだったらいいな、作った甲斐があるなと
武田:出来上がったものが公開されるとそれは自立した存在、それがどういう人とどういう風に接するかっていうのは作品次第、みんなが通り過ぎていくものもあるしそうでないものもある。その中で接点をしっかりもってくれるという、感動してくれるというか、そういうのは作品を作っている人にとってはいいですよね?
田中:感動までしてくれているかはわからないけれど(笑)
武田:基本的に田中さんは優しい人なんでしょうか?
田中:結構短気な方で。石彫っている人、は結構怒るまでは長い、けれど怒るとひどい(笑)
武田:前に取材した時に、お守りみたいなものを作りたいと言っていた。
田中:何て言ったんだろう(笑)
武田:思い出したら教えてください(笑)。最後になりますが、田中さんの作品の面白さはユーモアの多面性にあると思うのですが、いじわるして笑わせる、っていうユーモアもイギリスにはいろいろあるので、それをちょっと読んでみます。「ある女性が神父さんのところにやってきて、実は罪を犯したので懺悔したいと言っている。昨夜鏡を見て、私ってなんでこんなに美しいのかって思いました。これは傲慢の罪ですか、と神父さんに聞く、神父さんはこう答えました、それは罪ではありません、単なる誤りです。」(笑)。そして最後にイギリスの顔チャーチルのユーモアを一つ。「ある子爵夫人がチャーチルに言った。もしあなたが私の夫でしたら、コーヒーに毒を入れますわよ。チャーチルは答えた。もしあなたが私の妻だったら、喜んで飲んでしまうでしょう。」…田中さんの芸術を考えるとユーモアという言葉は避けられない。でもユーモアのどういう部分を田中さんの彫刻に見たらいいのか、ということもこれからもし機会があればじっくり考えてみたいと思います。
田中:ありがとうございます
武田:言い過ぎですか?
田中:いや、わからないです
武田:この寡黙な感じ?本当に何を考えているかよくわからないでしょ?
田中:いやそんなことはないです、ただ単純に
武田:単純に?んーでもそれが非常に作品とあっていて実に面白いというか全く普通じゃないものを普通のようにどんどん作って行くという、何かもって生まれたものというか、それは神様には感謝しなくちゃいけないっていうか。そのオリジナリティっていうのが湧いて出る、そんなところがある不思議な人。ということで今日は楽しみにやってきたのです。
田中:ありがとうございます、そうなれるように頑張ります
武田:ということでトークを終わりたいと思います。
 
 エクリュ:ありがとうございました。